このサイトについて
このサイトは、a・chi-a・chiの事が好きで好きでたまらない一ファンが、a・chi-a・chiデータベースおよびファンの思いを叫ぶ場として立ち上げたものです。
そのため、ご本人・企業・団体とは一切関係がありません。
また、当サイトに掲載している記事は、管理人がa・chi-a・chiデビューから20年の間に集めた情報を元に作成しております。
間違いなどございましたら、ご指摘いただけるとありがたいです。
なおサイト内の文章・イラスト・写真等は全て管理人が自力で作成しております。これらの無断転用は、固くお断りいたします。
以上ご了承の上、少しでもこのサイトでお楽しみいただければと存じます。
データ情報源
主にCD・VHS・ワタルプロジェクト通信(通称W-P通信)当時のチラシ・広告・雑誌記事など、ソースのはっきりしたものから作成しています。
管理人の記憶に頼ったものや、幸運にもご本人たちから伺ったものは、その旨記載してあります。
このサイトを作成するに当たって、大活躍したのは写真のもの。
1989年~1997年頃までの記事や広告を纏めた、管理人自作a・chi-a・chiスクラップブックです。当時「a・chi-a・chi」という文字を見つけたら、どんなに小さくても取ってました。もちろん自分の集めたものばかりではなく、周りの方々からいただいた切り抜きなんかも入っています。
管理人について
HN:きい
ワタル放映終了と同時にa・chi-a・chiを知る。
以後の人生をa・chi-a・chiファンとして生きる、酒とお絵かき好きなヲタク女です。
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a・chi-a・chiで見る管理人の歴史
- date
- a・chi-a・chi event
- site master event
- 1989
- ワタル放映終了時
- きい 小学生
なぜか違うクラスの子から「コレいいから」と『Step』のカセットを渡され、a・chi-a・chiの歌声に出会う。歌声で背筋が「ゾクゾクッ」とする体験を初めてする。
- 1990
~
1991
- もう一つの卒業 発売
- きい 中学生
お金がないのでCDが買えない為、地元ヲタクラジオ番組に投稿してa・chi-a・chiの曲を流してもらい、それを録音してカセットで聴く日々。
その後小遣いが増えてCDが買える様になっても、公共の電波でa・chi-a・chiを流して欲しいと、高3まで投稿は続く。
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- メモリアルライブ 開催
- きい 中学卒業
大阪でワタルライブ開催を知り、高校受験間近だったため「志望校に受かったら、大阪のイベント行っていい?」と親にねだったらOKを貰う!・・・が、a・chi-a・chi不参加と知り、しゅーんとなってふぐ島に篭る。
(東京はふぐ島からは遠すぎて問題外だった)
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- 夏から秋発売に向けて
レコーディング中の頃?
- きい 高校生
高校入学時に学級新聞に自己紹介を書けと言われたので、でっかく「好きな歌手:a・chi-a・chi」と書く。その後クラスメートに「a・chi-a・chiが好きなのって、きいさんよね?」と話しかけられる。その彼女は今も一番の親友。
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- メモリアルライブビデオ
発売
- 初めてa・chi-a・chiのお姿を拝見し、嬉しすぎて「ビデオ画面を一眼レフで撮影してその写真を定期入れに入れる」という暴挙に出る。
当時の定期入れはa・chi-a・chiの写真とハリソン・フォードのブロマイドが並ぶというカオスなものとなる。
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- 恋のバカンス 発売
- 初のジャケット写真に興奮して、同じ服を作ろうとする。(未遂)
とりあえず、黄色のバンダナは購入する。
- 1993
- 君が生まれる日 発売
- この頃小遣いに微妙に余裕が生まれたので、まだ持ってなかった『Step』『もう一つの卒業』のシングルをお取り寄せで購入。そしたら、『Step』のジャケットが不良品だった。(歌詞の方が表になってた) かえって貴重かもと思って、そのまま購入する。
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- 終わりなきとかの頃
- 某アニメ誌上で、3ヶ月連続ワタルクイズ開催。
成績上位50位を「創界山Worldツアーご招待!」というもので、「a・chi-a・chiが来る!?」と思いこんだきいは、必死こいてマニアなクイズに答える。結果50位以下150位以内でツアー不参加。その代わり「敗者復活オリジナルグッズ」という「真弓さん・一寿さんのサイン入りワタル4音楽篇のジャケット・でもCDは入ってなくて、代わりに鏡が入ってる」というものを頂く。結局a・chi-a・chiはツアーにいらっしゃらなかったので、きい的には最良の結果となる。
この頃から漠然と「きいはいつかa・chi-a・chiに会う」と根拠もなく思い込むようになる。(痛いコ・・・)
- 1994
- 極道くん準備中?
- ベッドで新聞を読んでいたら、某大手音楽番組(M○テ)の欄に「a・chi-a・chi今夜当番組初登場!!」の文字を発見!! 大慌てでビデオのセットに走る・・・!と思ったら、ベッドから飛び降りたところまで夢だった。しばらくベットの脇で「ほえ?? 新聞は??」と呆ける。夢見て本当に体が動いたのは、後にも先にもこの1度きり・・・。
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- Rondo 発売
- 発売日まで毎日広告を眺めてすごす大学受験生。
発売日は動揺と興奮で言動がおかしくなり、友人がまわりに「今日のきいに近寄っちゃだめ!」と釘を刺してくれる。
- 1995
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- きい 高校卒業
クラス文集に「a・chi-a・chiの曲がカラオケに入ったら、連絡ください」と書いてみる。
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- きい 大学生
「思春期にたくさん励ましてくれたa・chi-a・chiに、恩返しがしたいのだ! きいができるのはお絵かきだけだから、いつかa・chi-a・chiのジャケットデザインするのだ!!」と、美大入学のため上京(ますます痛いコ・・・) のはずが、きいが上京した途端にa・chi-a・chiおよびワタルのイベントがなくなり、やさぐれる。
やさぐれついでに護身術を始めたりして、ヲタい大学にも関らずヲタクな生活からちょっと離れる。
- 1997
- 超ワタル 放送開始
- 大学のゼミ中に、超ワタ放送開始を知る。
「a・chi-a・chi復活!?」と一人盛り上がるも、主題歌じゃなくて再びやさぐれる。
やさぐれたせいでワタルのイベントに行く気をなくしてしまう。せっかく東京にいるのに、なぜ申し込まなかったのかと10年たった今頃後悔。
- 200?
- インディーズで復活?の頃
- きい いつのまにやら社会人
ネットしてない、同人も知らない、まわりもヲタクじゃない友人ばかりで、見た目には一般人な生活を送る。もちろんインディーズの話も知らず。
「ワタルはもう10数年も前のアニメだから、一人心の中で萌えていくしかない・・・」とそっと心でつぶやいて過ごす。
- 2005
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- ようやくネット開通。
ワタルファンが世界にまだまだ沢山いることを知り「仲間にいれてええ!!」とサイト製作の勉強を始める。翌年サイトデビュー。
- 2007
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きい 永さんにお会いする!!
ネットで知り合ったトモダチと、老神旅行へ!! 永さんの手料理までご馳走になる。永さんを初めて目の前にして、感極まってぼろぼろ泣いてしまう。
この頃からサイト製作って面白いからもっと勉強したいと思い、いきなりwebデザイナーに転職する。仕事までワタルがきっかけかと、まわりにびっくりされる。
- 2008
-
- きい 永さん・久さんにお会いする!!
老神旅行再び!! 今回は久さんにもお会いする!!
a・chi-a・chiのお二人はもちろん、叔母様である女将さんや宿のスタッフさん、a・chi-a・chiのお母様、本当に沢山の方々によくして頂いて、感激のあまり「私ってこんなにa・chi-a・chiが好きなんですっっ!!」って叫びたくなって、ファンサイト(このサイト)を作り始める。
そして11月23日、見切り発車で公開に踏み切る。
- 2009
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- きい なにがどうして海外逃亡
今年も老神に行きたいと願いつつ、なぜか異国へ流れ着く。どこかでまた老神に行くチャンスを作れないかと虎視眈々と狙いつつも、スコーンと紅茶に塗れて日々を送る。
その後、西洋双子のベビーシッターを請け負う事になり、青い目のa・chi-a・chiを目指してa・chi-a・chiを歌いながら子守りを続行中。(だって、双子の親に、日本語で面倒見ていいよって言われたから・・・)ちなみに奴らのお気に入りは「WRONG NUMBER」
- 2012
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- きい 国外追放の憂き目にあう
青い目のa・chi-a・chiを育て上げる前に、国に追い出されてこっそり帰国。しかし青い目のa・chi-a・chiをあきらめきれずに、日本語の歌の本(ボタン押すと曲が流れるやつ)を送り付ける
- 2014
- 16年ぶりの新曲発表!
- きい 気付けは人妻に。そして異国アゲイン
16年ぶりの新曲発表に歓喜するも、旦那に「CD-BOX高っ!」といわれるのは目に見えていたので、実家宛にこっそりネット購入。人妻のつらさを思い知る。そして2年ぶりに2週間ほど異国アゲイン。双子と再会。双子は順調に日本語の歌を熱唱の日々。